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タイトルが間違った期待を産む「羅小黒戦記 ぼくが選ぶ未来」

レビューを書くに当たり、「こうしたほうがもっといいのではないか」「こうだったらもっと良かった」という感想は、この世に存在しない自分だけの理想の作品と比較してるので、誰でもいくらでもどうとでも言う事ができるから、全くの無意味である。

 

でも言いたくなる気持ちは凄く良くわかるし、僕もよく言ってしまう。

 

今回「羅小黒戦記 ぼくが選ぶ未来」を見て言いたくなってしまうのだ。こうしたら良かったのにって。

以下、ネタバレが入りますのでご注意ください。

 

 

以下が「羅小黒戦記 ぼくが選ぶ未来」のあらすじである

 

人間たちの自然破壊により、多くの妖精たちが居場所を失っていた。森が開発され、居場所を失った黒猫の妖精シャオヘイ。そこに手を差し伸べたのは同じ妖精のフーシーだった。フーシーはシャオヘイを仲間に加え、住処である人里から遠く離れた島へと案内する。その島に、人間でありながら最強の執行人ムゲンが現れる。フーシーたちの不穏な動きを察知し、捕えにきたのだ。

 

戦いの中、シャオヘイはムゲンに捕まってしまう。
なんとか逃れたフーシーたちはシャオヘイの奪還を誓い、かねてから計画していた「ある作戦」を始める。一方、ムゲンはシャオヘイとともに、人と共存する妖精たちが暮らす会館を目指す。シャオヘイは、新たな居場所を見つけることができるのか。そして、人と妖精の未来は、果たして――

 

主人公のシャオヘイは敵(と思ってる)ムゲンに捕まるのだが、行動を共にしているうちにムゲンたちは妖精と人間の共存を図ろうとしている人達で悪い人ではないと知る。

一方仲間(と思ってる)フーシー達は、自然を破壊した人間達を憎んでいて妖精の世界を取り戻そうとしていることを知る。

シャオヘイもまた自分の居場所を人間達に奪われたので、フーシーの考えに賛同できる立場なのである。

 

どちらにも正義がありどちらが正しいとは簡単にいえない難しい問題であり、主人公のシャオヘイも最初はムゲンや人間を嫌っていたが、次第に理解を示すようにはなってくる。

 

この問題に対してシャオヘイはどういう答えをだすのか?それを期待して観ていくわけじゃないですか!
だってサブタイトルに「ぼくが選ぶ未来」ってあるんですよ!?

 

しかし、しかしです。

 

物語が後半にすすむとフーシーは自分たちの目的のために、同族である妖精を傷つけ、シャオヘイの命すら奪いかねない行為をする。

こうなっては、シャオヘイとしては裏切られたにも等しく、フーシーと敵対してムゲンと人間側に付く以外に選択肢がないのである。

 

もったいない。と思う。

 

フーシーたちを、過激思想だけど、シャオヘイを大切に思ってる妖精、としておいたら、シャオヘイもどちらの味方になるべきか凄く悩むはずである。

それこそ「ぼくが選ぶ未来」の選択になるだろう。

しかし物語的には一択の選択肢しかない流れなのである。

 

 

フーシーを倒した後、最終的にシャオヘイは師匠であるムゲンに付いていくかどうかで、付いていくほうを選択したのだが、副題の「ぼくが選ぶ未来」がコッチのことを指してるように見えなくもない、ってなってしまってるんですよ。

 

タイトルによって間違った期待をさせられてしまう例である。

 

中国の原作は「羅小黒戦記 」だけで、「ぼくが選ぶ未来」なんて部分はついていないので、まぁ「羅小黒戦記 」では日本人では読めないし意味もわからないから追加させたというのはわかるけど、変えるなら全部変えるべきだったと思います。

 

と、何だかんだ言ってますが、作品としてはとても面白かったです。

なによりもシャオヘイが可愛すぎます♡

youtu.be

僕が「ガールズ&パンツァー 劇場版」にハマらなかった訳

「ガールズ&パンツァー」のテレビ版は2012年。その後2015年に「ガールズ&パンツァー 劇場版」が公開されました。

 

「ガールズ&パンツァー」を超簡単に説明すると、「戦車道」という戦車を使ったバトルが一般化された世界で、JKたちが戦車に乗り、戦車バトルをしていき勝利&成長していく、というアニメ。

youtu.be

戦車というと異質感が漂うが、要はそういうスポーツだと思ってもらうと話が早い。
戦車で実弾の大砲をぶっ放して建物を破壊したりするけど、決して人は死なないスポーツであり、ファンタジーである。

 

多分この作品を考えたときの企画会議では

「JKが戦車乗ったら萌えるよねー」

「でも戦争をテーマにすると、暗い話になっちゃうよねー」

「じゃあスポーツ競技にしちゃえばいいじゃん」

「最高www天才www」

こんな感じで決まったのだろう(笑)

 

このアイデアは面白くて素晴らしい。
実際TV版も劇場版もヒットしたようである(僕はリアタイで観てないので、どんな人気だったか肌感ではわからない)

 

僕も遅ればせながらTV版を観て、次に劇場版を観たわけですが、どうもハマらなかった。その理由を書いていきたいと思う。

 

「ガールズ&パンツァー」の醍醐味といえる戦車バトルについては、これはもう何も言う事はありません。劇場版ということで、TV版を超えた迫力と派手さで、さらにはWikipediaによれば音響にこだわったそうで、映画館でみればさらに素晴らしいものになってるのでしょう。

 

ハマらなかった最大の理由はシナリオのほうですね。
TV版で廃校を逃れたと大団円で終わっておいて、今回はその廃校撤回はただの口約束で、検討したけどやっぱり無理だったとなり、廃校問題が再びわきあがったのです。

 

ちょっと安直さを感じますが、まぁいいでしょう。

 

生徒会長と文部科学省の人が話し合って、なんとか大学選抜チームに勝てば廃校はとりやめると約束し、今度はちゃんと誓約書を取り交わす。

文部科学省の人は大洗女子学園を負かすために、色々と卑怯な手をうってくるわけです。

 

ここです!問題点は!

 

なぜ文部科学省の人は卑怯な手をうってまで大洗女子学園を廃校にさせようとしているのか?

ここが最後まで不鮮明なのですよ!

 

そこを不鮮明なままにしたのは、その理由が物語上重要な事柄ではない、ということですよね。
たしかにTV版のときも廃校理由ははっきりとはしてなかったと思います。でも学校が廃校になるというのはリアルでも起こりうることです。
でも今回は絶対に廃校にさせようという明確な悪意があります。

想像は出来ますよ。ここまで手段を選ばないとなると何かしらの横領やら癒着やら裏取引やら、何かあるのだろうと。
でも語られてはいません。そんなことは重要じゃないから。

大洗女子学園の生徒達はただただ理不尽な目に遭い、大学選抜チームとの戦いに臨むのです。

 

問題点がハッキリしましたね。

 

廃校になる理由は大洗女子学園と大学選抜チームとを戦わせるためなのです。
文部科学省の人が卑怯な手を使ったのは、ライバル校の生徒たちもこの戦いに参加させるためであり、不利な状態から打ち勝つためなのです。
そういうことなのです。

 

つまり、最初に大学選抜チームとの戦いの構想があって、逆算しながらシナリオを組み立てた結果だから、リアリティを感じさせない強引な展開になっていったと思うのですよ。

本当は大学選抜チームとの戦いはエキシビションマッチでやれば自然で問題はなにもないけど、しかしそれだとドラマ性ないよね。

 

もちろん娯楽アニメでありフィクションですし、そして映画では戦車バトルのほうに重点をおいているから些細な問題なのかもしれない。
でも戦車バトルがファンタジーであるからこそ、それを行う理由である部分は、リアリティが欲しかったのです。